そんな訳で、成績が良かった頃の模擬試験では、国立大学の医学部の合格ラインを悠々と超えていた私の成績は急降下し、現役一発目の受験の頃に偏差値は悠々と30を切っていました。
私は学年トップクラスの成績でありながら、受験が近づくにつれて勉強をサボって医学部の受験に臨むという、今考えただけで背筋も凍る、ドラゴン桜のサクセスストーリーとは真逆の図式を辿ったのです。
いや、サボったのではありません。そもそも私は医者になりたいなど、一度たりとも言ったことも考えたこともありません。
完全に親の勘違いが生んだ悲劇です。
そんな私が医学部を受験させられた原因はいくつか心当たりが有ります。
まず高校生活初期の学業成績。これが第一。
そして父が歯科医だった事。
父は自分が歯科医でありながら、歯科医師という人たちの医療人としての質の悪さに大きな失望を抱えていました。
せめて息子には医療人としてもっと誇らしい仕事をして欲しかったのだと思います。
そのために医療人としての最高峰である医者の仲間入りをして欲しかったのでしょう。
第三に、私の母方の祖父が医者であり、そっちの血筋に望みを見出してしまったと思われます。
勘違いを生む不運が幾つも重なりました。
何よりも決定的な間違いは、私自身が医者になるという意思が全くない事。人生を歩んでいる本人の意思が無いなんて奴隷と同じです。
医者なりたくないんだったら、親にちゃんとそう言えば良いじゃないか、と言う方がいるかも知れません。
しかしいったん親に期待をかけられた子というのはそう簡単に逃げる事はできないのです。
「俺は医者などなりたくない!」
「じゃあ何になりたいんだ!」
の押し問答がいつも続きます。
こう言われて親を説得出来るほどの固い意志を持って自分の将来の道を決定できる若者があの時代にどれだけ居たのでしょうか。
とにかく大学さえ行けば一生安泰などという、デタラメが常識だったあの時代に。
何度も家族会議が持たれ、その度に言いくるめられては、競争率の最も高い時代の医学部受験戦争に参加する事になってしまうのです。
しかし肝心の本人にやる気が無いので成績は落ちる一方です。
期待の重圧と起きないやる気。この最悪の循環が何年も続くということがどれほど若者の心を追い詰め苦しめる事でしょう。心は擦り切れ、考えるのは、この世と決別することばかりです。
今にして思えば、成績が落ちていったのはサボったのではなく親へのささやかな無言の抵抗だったのでしょうか。
もちろん受験しても医学部に合格するはずもなく、浪人生活は2年間に及びました。
今にして思えばどうって事ないのですが、若者は1年や2年の遅れを極度に恐れるものです。
ただ浪人している間にひとつだけ急激に成績が伸びた学科があります。
それは数学です。
数学「だけ」ならば、どの大学のどんな問題でも解けるほどの自信を持つに至りました。
数学という学問は、数学を本当に好きな先生から教わると、成績が激変します。
逆にいうと、数学の成績が芳しくない人は、本当は数学が好きではない先生、もしくは本当は数学が解っていない先生から教わっている可能性があります。
どの学問にも言える事ですが。
今はYoutube があります!
その中で本当に数学が好きで、数学の授業を配信している先生が必ずいる筈です。数学を伸ばしたい方、それを完全に理解できるまで繰り返しガン見しましょう。
「自分にとって本当に必要なものだけ」を見て、余計な動画を見続けないように、自分をコントロールできれば、その時間の積み重ねは、あなたの将来を劇的に変える力があるのです。
私の他の学科は相変わらず悲惨でしたが。
伸びたのは数学だけです。
そもそも私の得意科目は国語と世界史です。理系の受験と関係ないんですよ、これがw
あまりの苦しみから、私は受験をもう辞めさせてほしい。どうしてもこれ以上続けられないから、医学部の受験をもう辞めて働くと、父に伝えました。
するといつもの押し問答もなく、父は穏やかに、「歯学部をひとつだけ受けてみろ。」と。
そしてあの日、歯学部の合格発表で自分の番号が掲示板に載っているのを生まれて初めて見たのでした。
なんとなく肩の荷が降りたような気分で、特に嬉しかったという感情はありません
これで受験は終わった。そんな、ただのとても乾いた感情でした。
実際には、私の受験人生はアメリカまで続きます。
日本の大学受験では最後まで偏差値が40にも満たなかった英語を使って。
しかし、アメリカの大学受験では、TOEFLを死に物狂いで学びました。
TOEFLは難しいですが、生きた英語を使えるようになる優れたシステムです。生きた英語を学びたい方、留学したい方、TOEFL一択集中で夢を掴みましょう。間違える人がいますが、TOEICではありません。TOEFLです。
アメリカで音楽大学に合格したときは流石に嬉しかったですね!
私は生まれて初めて自分の意思で、自分の行きたい学校を自分で決めて、受験して、合格したのです。
自分の意思で、血と汗と涙を流して成功を掴むその喜びは、何もかも乾いたレールに乗っていた日本の時とは比べ物になりませ
メールで合格通知が届いたのですが、合格とか不合格とか書いてあるのではないので、最初は意味がよくわかりませんでした。
アメリカの合格通知には、なんて書いてあったのかと言いますと、
「新しい世界への扉は開いた」
と書いてあったのです。
続いて
「我々は扉を開けただけ。あとは君次第」
と書いてあって、これは合格?受かったって言う意味だよね!? 喜んでいいんだよね?
喜びがじわじわ込み上げてきたのを今でもハッキリ覚えています。
しかし、日本の歯学部からアメリカの音楽大学まで、いきなり飛んだのではありません。
その間には中国が入っているのです。だから日本の歯学部から、何故中国に飛ぶのか、を説明しなければ、中国からアメリカに行った理由がわからないのです。
続きを書くまでしばらくお待ちください。
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